2005年05月14日
プチ問題提起作品集〜おかね〜その2
続きです。
タイトル通りに、ちゃんと問題提起をできているのでしょうか?そんな不安が頭をよぎりますが、気にしないようにします。
タイトル通りに、ちゃんと問題提起をできているのでしょうか?そんな不安が頭をよぎりますが、気にしないようにします。
私は実家に帰ってきました。
5月3日
父がいない時に母から過去から現在に至るまでの、我が家の経済状況の詳細を聞きました。母の約15年間に及ぶの忍耐の話を・・・。
正直胸が痛みました。
結婚当時は、母の父さん(私の祖父ちゃん)が理事長として設立した福祉の施設で、とても優遇された職場で働いていたそうです。でも長くは続きませんでした。その職場で人間関係(女性)で問題を起こしてしまい、辞めることになったそうです。
「できることなら、そこで長く働いていて欲しかった」、と母は今でも言っています。その後、母の父さんが貯めておいてくれた資金を元手に飲食店を始めますが、これも短命でした。その飲食店を閉めたときは、もう3人の子供たちがいて、私も小学校に上がっていました。この一番大変な時期に、父が職を失っていた事を今改めて考えますと、かなりゾッとします。
その後、自動車営業→経協→GI→と「コンサル」方面の仕事を天職と思ったらしく、そちらに方向性を決めて、仕事を進めていきました。ですが、途中出張先で倒れてしまい、これを機に事務所を開くことを決めました。しかし、この事務所開きが今の借金を作った原因でもあったのです。
父は、ギャンブルをしない人でした。もちろん、これといったお金のかかる遊びもしない人だと思います。でも、仕事をしない人でした。独立し、自分で会社を起こしても、「サラリーマン」をしており、嫌な仕事は人を雇ってやらせ、嫌いな人とは付き合わず、安い仕事はしない!という、方針で仕事を進めていました。
案の定、事務所を閉めることが決まり、また気がついたら多額の借金が残っていました。
どうしようもなくなり
不安になり
極限まで追い詰められて父がしたことが、酒を飲み、暴れたということ。
この時は、どうしようもなかったそうです。家にいたのは、母と妹の女だけ。
母ただ
「お願いだからやめて!」
「お願いだから!」
の連呼。
当時センター試験前の妹が、音を聞きつけて、見た光景は
父が暴れまわり、台所で目に付いた食器を叩き割り、夕食のために作っていたシチューを床に投げつけ、散々ひっかき回している壊れた人間の姿。その後、酒を片手に車で家を後にした父。跡に残ったのは、妹が修学旅行で買ってきたばかりの割れた「夫婦(めおと)湯飲み」・・・。その後始末を一人でしている妹がけなげでならなかったと母は言いました。
妹には同情します。
その後、父も一旦反省し、平素は普通なんですが、躁鬱の波があるらしく、欝で癇癪を起こすたびに、我が家から食器が次々に減っていくそうです。
結局父が、壊れた原因も借金です。
月末には、振り込むために、色々と金策に走り回り、精神的にボロボロになってしまいます。それは、父だけでもなく、そばにいる母にまでダメージを与えます。
・
・
・
ならばどうすればいいのか?
二人で考えました。
まず、最優先で処理すべきことは「金利の高いサラ金への返済」。
私が融資した金も結局は金利に消えただけ。元金はちっとも減らない!
こんな馬鹿げた事はさっさと終わらせるのが一番です。
金利の高い借金の返済には、現段階ではどうしてもまとまった金額が必要です。そして一括返済が望ましいです。
「んじゃ、貸してくれそうな見込みのある、登別の親戚(ばあちゃん)に頼むしかない」と私が言うと
母曰く
「これまでに何回か頼みに行っているんだけどもね。結局お兄さん(父の兄)の方でストップされちゃうから。親戚と言っても、他人だし、返せる見込みの無い人には金は貸してくれない。あっちは案外ドライなんだよ」
と、予想外の事を知らされました。
でもね、今回は俺も一緒に頼みに行くし、具体的な返済プランを立ててさ「月々これだけの金額を絶対返済します!」って頼みに行こうよ!と持ちかけました。
「うん、そだね。あなたの信頼だったら貸してくれるかもね」と母も同意し、少し希望が見えました。
話が纏まると、私は早速親戚に「4日に行く」という旨を電話で伝えておきました。
電話終了後、母が「あのさ、行くときはどうする?父さんにも伝えておく?」と聞いてきたので、俺が話しておくと、言っておきました。
5月3日
父がいない時に母から過去から現在に至るまでの、我が家の経済状況の詳細を聞きました。母の約15年間に及ぶの忍耐の話を・・・。
正直胸が痛みました。
結婚当時は、母の父さん(私の祖父ちゃん)が理事長として設立した福祉の施設で、とても優遇された職場で働いていたそうです。でも長くは続きませんでした。その職場で人間関係(女性)で問題を起こしてしまい、辞めることになったそうです。
「できることなら、そこで長く働いていて欲しかった」、と母は今でも言っています。その後、母の父さんが貯めておいてくれた資金を元手に飲食店を始めますが、これも短命でした。その飲食店を閉めたときは、もう3人の子供たちがいて、私も小学校に上がっていました。この一番大変な時期に、父が職を失っていた事を今改めて考えますと、かなりゾッとします。
その後、自動車営業→経協→GI→と「コンサル」方面の仕事を天職と思ったらしく、そちらに方向性を決めて、仕事を進めていきました。ですが、途中出張先で倒れてしまい、これを機に事務所を開くことを決めました。しかし、この事務所開きが今の借金を作った原因でもあったのです。
父は、ギャンブルをしない人でした。もちろん、これといったお金のかかる遊びもしない人だと思います。でも、仕事をしない人でした。独立し、自分で会社を起こしても、「サラリーマン」をしており、嫌な仕事は人を雇ってやらせ、嫌いな人とは付き合わず、安い仕事はしない!という、方針で仕事を進めていました。
案の定、事務所を閉めることが決まり、また気がついたら多額の借金が残っていました。
どうしようもなくなり
不安になり
極限まで追い詰められて父がしたことが、酒を飲み、暴れたということ。
この時は、どうしようもなかったそうです。家にいたのは、母と妹の女だけ。
母ただ
「お願いだからやめて!」
「お願いだから!」
の連呼。
当時センター試験前の妹が、音を聞きつけて、見た光景は
父が暴れまわり、台所で目に付いた食器を叩き割り、夕食のために作っていたシチューを床に投げつけ、散々ひっかき回している壊れた人間の姿。その後、酒を片手に車で家を後にした父。跡に残ったのは、妹が修学旅行で買ってきたばかりの割れた「夫婦(めおと)湯飲み」・・・。その後始末を一人でしている妹がけなげでならなかったと母は言いました。
妹には同情します。
その後、父も一旦反省し、平素は普通なんですが、躁鬱の波があるらしく、欝で癇癪を起こすたびに、我が家から食器が次々に減っていくそうです。
結局父が、壊れた原因も借金です。
月末には、振り込むために、色々と金策に走り回り、精神的にボロボロになってしまいます。それは、父だけでもなく、そばにいる母にまでダメージを与えます。
・
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ならばどうすればいいのか?
二人で考えました。
まず、最優先で処理すべきことは「金利の高いサラ金への返済」。
私が融資した金も結局は金利に消えただけ。元金はちっとも減らない!
こんな馬鹿げた事はさっさと終わらせるのが一番です。
金利の高い借金の返済には、現段階ではどうしてもまとまった金額が必要です。そして一括返済が望ましいです。
「んじゃ、貸してくれそうな見込みのある、登別の親戚(ばあちゃん)に頼むしかない」と私が言うと
母曰く
「これまでに何回か頼みに行っているんだけどもね。結局お兄さん(父の兄)の方でストップされちゃうから。親戚と言っても、他人だし、返せる見込みの無い人には金は貸してくれない。あっちは案外ドライなんだよ」
と、予想外の事を知らされました。
でもね、今回は俺も一緒に頼みに行くし、具体的な返済プランを立ててさ「月々これだけの金額を絶対返済します!」って頼みに行こうよ!と持ちかけました。
「うん、そだね。あなたの信頼だったら貸してくれるかもね」と母も同意し、少し希望が見えました。
話が纏まると、私は早速親戚に「4日に行く」という旨を電話で伝えておきました。
電話終了後、母が「あのさ、行くときはどうする?父さんにも伝えておく?」と聞いてきたので、俺が話しておくと、言っておきました。
Posted by tekon1192 at 23:56│Comments(0)
│生活
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